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東京高等裁判所 平成6年(行ケ)177号 判決

アメリカ合衆国85711-3332アリゾナ州ツーソン、

ノースウイルモットロード101、スイート250

原告(脱退)

リサーチ・コーポレイション

同代表者

ジョン・ピー・シェファー

アメリカ合衆国アリゾナ州ツーソン、

ノースウイルモットロード101、スイート600

参加人

リサーチ・コーポレイション・テクノロジーズ・インコーポレイテッド

同代表者

チモニー・ジョン・レッカート

同訴訟代理人弁理士

赤岡迪夫

早坂巧

東京都千代田区霞が関3丁目4番3号

被告

特許庁長官

荒井寿光

同指定代理人

市川信郷

花岡明子

秋月美紀子

関口博

吉野日出夫

主文

参加人の請求を棄却する。

訴訟費用は参加人の負担とする。

この判決に対する上告のための附加期間を90日と定める。

事実

第1  当事者の求めた裁判

1  参加人

(1)  特許庁が平成4年審判第19126号事件について平成5年6月15日にした審決を取り消す。

(2)  訴訟費用は被告の負担とする。

2  被告

主文第1、2項と同旨

第2  請求の原因

1  特許庁における手続の経緯

原告(脱退)は、昭和55年12月23日、特許庁に対し、名称を「組織特異前立腺抗原を検出する方法」とする発明(以下「本願発明」という。)について、1979年12月28日にアメリカ合衆国においてした特許出願による優先権を主張して、特許出願(昭和56年特許願第500570号)をしたところ、平成2年11月30日、特許出願公告(平成2年特許出願公告第56634号)がなされたが、特許異議の申立てがあり、平成4年5月14日、拒絶査定がなされた。そこで、原告(脱退)は、同年10月14日、審判を請求したところ、特許庁は、この請求を平成4年審判第19126号事件として審理した結果、平成5年6月15日、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決をし、その謄本は、同年6月28日、原告(脱退)に対し送達された。なお、その際、原告(脱退)のための出訴期間として90日が附加された。

参加人は、平成6年1月21日、原告(脱退)から、本願発明について特許を受ける権利の譲渡を受け、同年5月20日、その旨を特許庁長官に対し届け出た。

2  本願発明の要旨(特許請求の範囲第1項の記載)

(a)(ⅰ) 前立腺酸性フォスファターゼから明確に区別され、正常およびガン性前立腺組織に関連する組織特異性前立腺抗原に対するモノクロナール抗体であって、前立腺酸性フォスファターゼに対しそして他のカルチノーマに関連する抗原に対し交差反応性のない前記モノクロナール抗体と、

(ⅱ) 前立腺カルチノーマの疑いのある患者から採取したサンプルとを接触させ、前記組織特異性前立腺抗原と前記モノクロナール抗体との間の免疫沈降複合体を生成させ、そして

(b)前記複合体の存在を検出する、

ことよりなる生体外において前記組織特異前立腺抗原を検出する方法であって、

前記組織特異性前立腺抗原は、分析的ポリアクリルアミドゲル電気泳動および等電集束において単一タンパクバンドを示し、セファデックスG-75ゲルロ過により測定するとき約33000およびドデシル硫酸ナトリウムポリアクリルアミド電気泳動により測定するとき約34000の分子量をサブユニットなしで有しそして6.9の等電点pIを有し、さらに過塩素酸に不溶であって、そして前立腺酸性フォスファターゼから明確に区別されることを特徴とする前記方法。

3  審決の理由の要点

(1)  本願発明の要旨は前項に記載のとおりである。

(2)  これに対し、「INVESTIGATIVE UROLOGY」Vol.17、No.2(September1979、159頁ないし163頁、以下「引用例1」という。)及び米国特許第4172124号明細書(1979年10月23日発行、以下「引用例2」という。)には、それぞれ次の記載がある。

ア 引用例1

(ア) 「正常ヒト前立腺組織の粗抽出物に対するウサギ抗血清は、免疫沈降反応技術によって示された如く、前立腺組織特異抗原に対する抗体を含んでいた。この抗血清を使用すると、前立腺抗原が、正常前立腺組織、良性肥大前立腺組織及び悪性前立腺組織中には検出されたが、他のヒト組織中には検出されなかった。その前立腺抗原は、前立腺組織から均質に精製され、分析的ポリアクリルアミドゲル電気泳動および等電集束において、単一タンパクバンドを示した。本レポートは、かくして、前立腺酸性フォスファターゼを表さない前立腺特異性抗原の精製の最初の実例を提示する。」(159頁「ABSTRACT」1行ないし7行)

(イ) 「この実験では、EDTA-PBS溶液を使用したが、食塩水、3MKC1又は0.01%(v/v)Tween80も前立腺抗原の抽出に使用することができる。しかし、1M過塩素酸は、前立腺抗原の抽出に使用することができない。」(161頁左欄19行ないし22行)

(ウ) 「その精製された前立腺抗原は、セファデックスG-75ゲルロ過によると33000、そして、ドデシル硫酸ナトリウムポリアクリルアミド電気泳動によると34000の分子量を、サブユニット成分なしで有することが判明した。等電集束は、それが6.9の単一pIを有することを示した(図5)。」(162頁左欄下から5行ないし最終行)

(エ) 「本研究室(16)における最近の実験によれば、その前立腺抗原は、ロケット免疫電気泳動技術によって、幾人かの前立腺ガン患者の血清中には検出されるが、健常者や他のガン患者の血清中には検出されないことが判明した。これらの初期的成果は、この前立腺抗原が、前立腺のeutopic componentであるが、前立腺ガンの検出に役立ちうることを示唆している。」(162頁右欄下から6行ないし163頁左欄2行)

イ 引用例2

(ア) 「本発明のハイブリドーマにより産生される抗体は、悪性腫瘍の特徴を示す抗原が存在するかどうかを決定するために、患者の血液又は体液をスクリーニングすることによって、診断の補助物として用いることができる。」(7欄24行ないし27行)

(イ) 「腫瘍細胞で動物を免疫し、その動物由来の抗体産生細胞とミエローマ細胞との融合細胞ハイブリッドを形成せしめ、そのハイブリッドをクローニングし、そして該腫瘍細胞に対し特異性を示す抗体を産生するクローンを選択することからなる悪性腫瘍抗体の製造方法。」(7欄下から6行ないし最終行)

(ウ) なお、このようにして得られる抗体がモノクロナール抗体であることは、自明のことである。

(3)  本願発明と引用例1記載の技術とを対比すると、

ア 引用例1においては、前記(2)ア(イ)のとおり記載され、引用例1記載の技術における組織特異性前立腺抗原が過塩素酸に不溶であることは自明のことであるから、両者は、

「前立腺酸性フォスファターゼから明確に区別され、正常及びガン性前立腺組織に関連する組織特異性前立腺抗原と、該抗原に対する抗体とを接触させ、前記組織特異性前立腺抗原と前記抗体との間の免疫沈降複合体を生成させ、そして前記複合体の存在を検出することよりなる、生体外において前記組織特異性前立腺抗原を検出する方法であって、前記組織特異性前立腺抗原は、分析的ポリアクリルアミドゲル電気泳動及び等電集束において単一タンパクバンドを示し、セファデックスG-75ゲルロ過により測定するとき約33000、及び、ドデシル硫酸ナトリウムポリアクリルアミド電気泳動により測定するとき約34000の分子量を、サブユニットなしで有し、6.9の等電点pIを有し、過塩素酸に不溶であって、前立腺酸性フォスファターゼから明確に区別されることからなる方法」

である点において一致する。

イ 他方、両者は、次の点において相違するものと認められる。

(ア) 相違点1

本願発明が、組織特異性前立腺抗原を前立腺カルチノーマの疑いのある患者から採取したサンプルの形態で供給するのに対し、引用例1記載の技術においては、引用例1にそのような記載がない点

(イ) 相違点2

本願発明の抗体がモノクロナール抗体であるのに対し、引用例1記載の技術においては、引用例1にそのような記載がない点

(4)  上記の相違点について検討する。

ア 相違点1について

引用例1においては前記(2)ア(エ)のとおり記載されていることから、組織特異性前立腺抗原を、前立腺カルチノーマの疑いのある患者から採取したサンプルの形態で供給することは、当業者が容易に想到できることである。

イ 相違点2について

モノクロナール抗体を患者の血液と接触させ、悪性腫瘍の特徴を示す抗原が存在するかどうかを決定することによって、診断の補助物として用いることは、引用例2に記載されている。

したがって、本願発明において、問題となる抗原を検出するための抗体としてモノクロナール抗体を用いることは、当業者が容易に想到できることである。

ウ そして、相違点1及び2に基づく本願発明の効果も、当業者であれば当然に予測できる程度のものにすぎない。

(5)  以上のとおりであって、本願発明は、当業者が、引用例1記載の技術及び同2記載の発明に基づいて容易に発明することができたものであるから、特許法29条2項の規定により特許を受けることができない。

4  審決を取り消すべき事由

審決の理由の要点(1)ないし(3)は認める。

同(4)、(5)は争う。ただし、相違点1については、引用例1において、「その前立腺抗原は、ロケット免疫電気泳動技術によって、幾人かの前立腺ガン患者の血清中には検出されるが、健常者や他のガン患者の血清中には検出されないことが判明した。」(162頁右欄下から6行ないし163頁左欄2行目)と記載されているとおり、同引用例記載の技術においても、「健常者や他のガン患者の血清」は、そこから組織特異性前立腺抗原(以下「PA」という。)が検出されないことが判明するまで、「前立腺カルチノーマの疑いのある患者から採取したサンプル」といえるから、本願発明と引用例1記載の技術との間に、相違があるものではない。

したがって、本願発明と引用例1記載の技術との相違は、相違点2の事由にあるところ、審決は、その点についての判断を誤り、本願発明が引用例1記載の技術と引用例2記載の発明から容易に想到されるものとした点において違法であるから、取り消されるべきである。

(1)  本願発明における抗体はモノクロナール抗体であるが、引用例1記載の技術における抗体は、前記3(2)ア(ア)に記載のとおり、抗血清である。したがって、本願発明と引用例1記載の技術との間における相違点2は、正確には、本願発明が、PAについてモノクロナール抗体を使用するのに対し、引用例1記載の技術が、抗血清を使用する点にあるものというべきである。

(2)ア  ところで、モノクロナール抗体を産生するハイブリドーマ(細胞雑種)を得るためには、ある免疫原を用いて動物を免疫し、免疫した動物の脾臓等から該免疫原に対する抗体を産生する細胞を採取し、抗体産生細胞とミエローマ細胞等を融合し、クローニングしなければならない。

イ(ア)  本願発明におけるモノクロナール抗体は、ヒトのPAに対するモノクロナール抗体であり、したがって、その製造のための免疫原は、単離されたPAである。

そして、上記のPAは、悪性腫瘍の特徴を示す抗原ではなく、正常であろうと、良性肥大であろうと、悪性であろうと、すべての前立腺組織に常態的に所在する抗原である。

(イ)  一方、引用例2記載の発明は、このような、ある組織中に常態的に所在する成分に対するモノクロナール抗体を使用して、関連する組織のガンを検出することを示唆していない。すなわち、引用例2記載の発明におけるモノクロナール抗体は、PAに対する抗体ではなく、免疫原は、悪性腫瘍細胞である。

(ウ)  したがって、引用例2記載の発明に係るモノクロナール抗体を、前立腺ガンの診断に役立たせようとするならば、免疫原は前立腺ガン細胞でなければならない。

すなわち、抗原と抗体は、鍵と鍵穴のような関係にあるため、本願発明のモノクロナール抗体はPAとしか反応せず、引用例2記載の発明のモノクロナール抗体は、悪性腫瘍細胞に関連する抗原としか反応しない。

ウ  更に、引用例2においては、本願発明のように、モノクロナール抗体を使用して抗原抗体反応により免疫沈降複合体を生成させ、その検出によって問題の抗原を検出することを、直接示唆していない。

エ  したがって、引用例1記載の技術及び引用例2記載の発明を基にして、本願発明を正確に再構成ないし再現するためには、少なくとも、免疫原として、引用例2における腫瘍細胞に代え、単離された抗原を使用することにより、該抗原に対し特異性を示す抗体が得られること及び該モノクロナール抗体は、被検者から得たサンプル中の抗原と、免疫沈降複合体を形成するとの推論が必要であるが、引用例2の記載は、上記推論を裏付けるものではない。

オ  このように、本願発明と引用例2記載の発明とは重要な点において相違するものであるから、本願発明と引用例1記載の技術内容との間の相違は、引用例2記載の発明内容をもって補うことができず、これらを組み合わせたとしても、本願発明の構成に到達するものではない。

(3)  引用例1記載の技術においては、抗血清は、患者の血清中のPAを、ロケット免疫電気泳動法によって検出するために使用される。

そのため、当業者において、引用例1記載の技術における抗血清に代えて、引用例2記載の発明におけるモノクロナール抗体を用いることが容易であるためには、引用例2記載の発明において、患者のPAの検出のため、モノクロナール抗体を、ロケット免疫電気泳動法及びそれと原理的に等しいアッセイ法により使い得ることが明らかにされていなければならない。

ところが、引用例2記載の発明においては、患者の血液又は体液中の抗原を検出するために、モノクロナール抗体をどのように使用するかについて、一切記載されていない。

したがって、当業者において、引用例1記載の技術における抗血清に代えて、引用例2記載の発明におけるモノクロナール抗体を用いることが容易に想到されるとすることができないことは明らかである。

(4)ア  モノクロナール抗体は、1975年に、KohlerとMilsteinにより初めて作り出されたものであるが、それは、抗原としてのヒツジ赤血球で免疫したマウス脾臓細胞と、マウスミエローマ(骨髄腫)細胞とを融合して得られるハイブリドーマから、抗ヒツジ赤血球モノクロナール抗体を得たというものである。しかしながら、同人らが、その発表論文において、「他の抗原を使用して同様な結果を得ることができるかどうかは、なお観察しなければならない。」(「Nature」Vol.256、1975年8月7日号、497頁右欄本文10行ないし11行、丙第4号証)と述べているとおり、当時は、ヒツジ赤血球以外の抗原を使用して、同様なモノクロナール抗体を作ることができるか否かは不明であった。その後、本願優先権主張日より1年8月前の1978年4月28日を出願日とする引用例2(1979年10月23日発行)によって、抗原として腫瘍細胞を使用したモノクロナール抗体が知られるに至り、本願優先権主張日より7か月前に発行された「BIOCHEMICAL AND BIOPHYSICAL RESEARCH COMMUNICATIONS」Vol.88、No.2、1979年5月28日号(575頁ないし582頁、乙第2号証)によって、精製されたアセチルコリン受容体を抗原として使用し、モノクロナール抗体を生産することも知られるに至った。

イ  しかしながら、これらの抗原は、本願発明において使用するPAとは、生物学的もしくは化学的にみて、近似するものではない。

すなわち、ヒツジ赤血球やアセチルコリン受容体は、腫瘍もしくはガンに関連するものではないから、PAとは生物学的に近似しない。

引用例2記載の腫瘍細胞も、生物学的、化学的にPAに近似するものではない。すなわち、腫瘍細胞は、その腫瘍に特徴的な抗原を生産ないし分泌するものと推測されるが、その正体は不明であり、しかも、引用例2記載の発明においては、そのような抗原を、単離して使用するのではなく、細胞のまま使用しており、更に、PAは、正常な前立腺組織中にも存在するので、腫瘍もしくはガンに特徴的な抗原ではない。

ウ  以上のように、1975年にハイブリドーマによる抗ヒツジ赤血球モノクロナール抗体の発表があった後、他の二、三の抗原を使用してモノクロナール抗体を生産することが知られるに至ったにせよ、本願発明におけるPAは、それまでに報告された上記の抗原とは、生物学的にも化学的にも近似していないのであり、そのことからみても、引用例1記載の技術におけるポリクロナール抗体に代えて、引用例2記載の発明におけるモノクロナール抗体を適用し、本願発明に到達することは、当業者において容易に想到されることではなかったというべきである。

(5)  仮に、当業者が、引用例1記載の技術における抗血清に代えて、モノクロナール抗体の使用を思いつくことが可能であったとしても、本願発明の顕著な作用効果までを予測することは不可能であった。

ア(ア) 本願発明の作用効果は、前立腺ガンを発見するための1次スクリーニングとしての高い信頼性にある。これは、PAが、前立腺組織中に存在する固有の成分ではあるが、前立腺ガンを含む病変がある場合に限って、相対的に高い濃度をもって循環系に放出されるという事実が存在するためである。そのため、前立膝に病変を持つ患者は、ほとんど必ず、血清についてのPA試験で陽性を示し、それが陰性の場合には、高い信頼性をもって、前立腺ガンを有していないと判定することができる(すなわち、偽陰性率がゼロに近く、偽陽性を含む陽性率が高い。)。

(イ) これに対し、引用例1記載の抗血清を使用する方法は、偽陰性率が高く、真の陽性率が低いため、前立腺ガンを発見するための1次スクリーニングとしての信頼性を欠いている。

そして、上記の抗血清に代えてモノクロナール抗体を使用したとしても、引用例2記載の発明内容からみるならば、それにより、上記信頼性が高まるとは予想できない。

すなわち、臨床ガンを含む悪性腫瘍細胞のすべてについて、核又は細胞膜に含まれる腫瘍抗原が循環系に放出されるという事実は確認されておらず、また、引用例2記載の発明におけるモノクロナール抗体は、前記(2)のとおり単離されたPAに対し反応するものではないから、実際にはガンであっても、ガン細胞から抗原が循環系に放出されていない場合には、血清抗原が陰性であってもガンに罹患していないと判定することができない。したがって、依然として高い疑陰性率のため、信頼性に乏しいという問題は解決しない。

イ 更に、本願発明の作用効果の一つは、前立腺全摘出によって全治可能な、局部に限られたガンの検出率が、伝統的な直腸指診によるよりも、約2倍も高いことである。

これは、本願発明によりPAの定量が可能になったためである(これらのガン患者は、血清PA値が4.0ないし9.9μg/lの範囲にある。)。

引用例1記載の技術におけるロケット免疫電気泳動法では、PAの定量ができないし、引用例2にも、腫瘍抗原の定量法は記載されていない。

ウ 本願発明のこれらの作用効果は、単に、モノクロナール抗体の使用ばかりでなく、血清PAの発見と、前立腺ガン発病との間の相関関係が確立されたことによる。

引用例2記載の発明において患者の血液又は体液をスクリーニングする目的は、発見された抗原と悪性腫瘍とを相関させることではなく、その患者がガン免疫療法に応答するか否かを知るためであるから、引用例2記載の発明においては、血液又は体液中のガン抗原の存在とガン発病とを関連付ける必要がないのである。

エ(ア) なお、被告は、参加人の本願発明の作用効果についての主張が、本願明細書の記載に基づくものではないと主張するが、上記作用効果は、本願発明に本来内年されていたものであり、本願発明の実施による商業的成功に伴い、初めて判明したものであるから、かかる事実を発明の進歩性の判断において参酌することは、当然に許されるものというべきである。

(イ) また、被告は、本願発明のようにモノクロナール抗体を使用した場合の作用効果が、ポリクロナール抗体(抗血清)を使用した場合の作用効果に比べて、必ずしも優れたものとはいえないと主張する。

しかしながら、モノクロナール抗体を使用した場合の方が優れていることは、「CLINICAL CHEMISTRY」Vo1.33、No.10(1916頁ないし1920頁、丙第2号証)に報告されている。すなわち、そこにおいては、モノクロナール抗体の方が、ポリクロナール抗体よりも、「すべての濃度において、より良い精度を達成する。」と結論付けられており、実験データ上、同じアッセイ間(同じロットを使用)及び異なるアッセイ間(複数の異なるロットを使用)の両方において、モノクロナール抗体の方が、ポリクロナール抗体よりも変動係数が小さく、測定値のばらつきが少ないことが示されている(このことは、異なるロットの製品を使用せざるをえない、前立腺全摘出後の長期間の術後モニタリングにおいて、特に重要である。)。また、そこでは、ポリクロナール抗体は、おしなべてモノクロナール抗体よりも1.5倍高い測定結果を与えることが報告され、前立腺ガンの偽陽性率が高まることが示されている。

更に、モノクロナール抗体は、量を無制限に作ることができるという利点も有する。

したがって、モノクロナール抗体は、ポリクロナール抗体と直接比較しても、優れていることは明らかである。

オ 以上のとおりであるから、引用例1記載の技術及び引用例2記載の発明から、本願発明の顕著な作用効果を予測することはできず、したがって、引用例記載の上記技術及び発明から、本願発明を想到することはできなかったものというべきである。

(6)  以上(2)ないし(5)の事由からみるならば、当業者において、引用例1及び2記載の技術、発明から本願発明を容易に想到することができるとした審決の認定判断に誤りがあることは明らかである。

第3  請求の原因の認否及び被告の反論

1  請求の原因1ないし3の各事実は認める。同4は争う。

審決の認定、判断は正当であり、審決に参加人主張の違法はない。

2  取消事由についての被告の反論

(1)  請求の原因4(1)ないし(3)の主張について

ア 審決において述べているように、本願発明と引用例1記載の技術とは、PAと、PAに対する抗体との間において、免疫沈降複合体を生成させ、PAを検出する方法である点において一致する。

しかしながら、本願発明においては、PAに対する抗体として、モノクロナール抗体を用いるのに対し、引用例1記載の技術においては、ウサギ抗血清(ポリクロナール抗体)を用いる点において、両者は相違する。換言すると、両者は、抗体が、モノクロナール抗体であるか、ポリクロナール抗体であるかの相違点を除けば、実質的な相違点はないといえるのである。

イ(ア) その点から、引用例2記載の発明を検討するに、同発明において、モノクロナール抗体により患者の血液ないし体液をスクリーニングする目的が、ガンの治療とともに、ガンの発見にもあることは明らかであり、その点において、引用例2記載の発明と本願発明とは異なるところがない。

(イ) 引用例2には、モノクロナール抗体を患者の血液又は体液と接触させ、悪性腫瘍の特徴を示す抗原が存在するか否かを決定することによって、それを診断の補助物として用いることが記載されている(第2、3(2)イ(ア))が、そのことからみて、該モノクロナール抗体が、披検者から得た血液、体液等のサンプル中の抗原との間に、免疫沈降複合体等の抗原抗体複合体を生成するものであることは自明のことといえる。

(ウ) また、本願発明と引用例2記載の発明とは、免疫原として検出の対象となる抗原を用いることにより抗体を得る点において、格別異なるものではない。

(エ) 引用例2記載の発明は、検出の対象となる抗原が腫瘍細胞に含まれていることから、腫瘍細胞を免疫原としているものであるが、本願発明のように、検出の対象となる抗原が単離された抗原であるならば、単離された抗原を免疫原とすべきであるのは当然のことである。

前記乙第2号証575頁11行ないし15行には、「トルペド カリフォニカ由来の精製されたアセチルコリン受容体に対する抗体を産生する、11個の安定なモノクロナールハイブリドーマ細胞株を作製した。アセチルコリン受容体で免疫した、実験的な自己免疫性重症無筋力症を呈するラットから採取した脾臓細胞を、マウスミエローマ細胞株と融合した。」と記載されているが、この「アセチルコリン受容体」が「細胞に含まれる抗原」にあたることは、当業者にとって自明のことであるから、乙第2号証には、「細胞に含まれる抗原からモノクロナール抗体を作るにあたって、抗原を予め単離精製しておくこと」が記載されているということができる。したがって、細胞に含まれる抗原からモノクロナール抗体を作るにあたって、抗原を予め単離精製しておくことも、上記乙第2号証にみられるとおり、当業者が所望により適宜なしえる程度のことにすぎないといえる。

(オ) 更に、参加人は、引用例2においては、患者の血液ないし体液中の抗原を検出するために、モノクロナール抗体をどのように使用するかについて記載がないと主張するが、上記抗体に、ロケット免疫電気泳動法等の、本出願前に公知の免疫学的方法を適用することは、当業者が容易に想到できることにすぎない。

ウ 以上によれば、引用例1記載の技術において、検出の対象となる抗原、つまり問題となる抗原を検出するために、ポリクロナール抗体に代えてモノクロナール抗体を適用し、それにより本願発明に到達することについては、格別の困難性はないものというべきである。

(2)  請求の原因4(4)の主張について

ア 丙第4号証における参加人主張部分の記載(497頁右欄本文10行ないし11行)は、その直前の、抗原としてヒツジ赤血球を用いた場合における、ヒツジ赤血球に特異反応を示す陽性クローンが生じる割合についての記載部分を受けたものと解されるから、ヒツジ赤血球以外の抗原を用いたとしても、陽性クローンの生じる割合について、同様の結果が得られるか否かを観察する必要があることを述べたものであるにすぎず、参加人の主張するように、ヒツジ赤血球以外の抗原を使用して、ヒツジ赤血球の場合と同様に、モノクロナール抗体を作ることができるかどうかが不明であることを述べたものとすることは妥当でない。

イ また、乙第4号証(丙第4号証と同一文献)における以下の記載は、ヒツジ赤血球以外の抗原を使用することによっても、モノクロナール抗体を作り得ることを示唆しているものといえる。

(ア) 「上述の結果により、体細胞融合技術は、予め決めた抗原に対する特異抗体を生産するための有力な道具であることがわかる。」(497頁左欄5行ないし7行)

上記記載は、抗原としてヒツジ赤血球を用いた具体的な実験結果の記載に引き続いた記載であるが、一般的に「予め決めた抗原」としていることから、ヒツジ赤血球以外の抗原の使用を示唆するものと解される。

(イ) 「異なる起源からの抗体産生細胞を融合することもできる。そのような細胞は、試験管内で大量培養に増殖させて特異抗体を得ることができる。このような細胞培養物は、医学的に又は工業的に有用であろう。」(497頁右欄本文14行ないし18行)

上記記載は、具体的な実験として記載したものとは異なる起源の抗体産生細胞も使用できることを、一般的に記載したものであり、また、「このような細胞培養物」がヒツジ赤血球に対するモノクロナール抗体だけを指すものとすると、その抗体だけが医学的、工業的に有用であるとは考え難いため、上記記載は、ヒツジ赤血球以外の抗原に対するモノクロナール抗体を念頭に置いたものと解することができる。

ウ 1977年に刊行された「THE LANCET」(1977年6月11日号、乙第5号証)には、次のとおりの記載がある。

「体細胞融合の技術は、概念が簡単で、操作がエレガントで、かつ応用範囲が広く、現代の生物学において最も画期的な研究開発の一つであることが実証された。」(1242頁右欄8行ないし11行)「(Milsteinらのモノクロナール抗体産生技術についての記載に引き続き)、ヒトの診断用免疫学におけるその応用の可能性は自明である。例えば、まれな血液型、各種肝炎抗原並びに胎児腫瘍性及び腫瘍関連抗原を同定するためには、純度、抗体力価、単一特異性の抗血清に対する切迫した需要が存在する。」(同48行ないし52行)

上記の記載からも、1975年におけるKohlerとMilsteinによるモノクロナール抗体に関する論文の発行後、わずか2年で、この技術が急速に発達し、確立されていったことが理解できる。

更に、上記記載及び引用例2における前記第2、3(2)イ(ア)の記載からみても、本出願当時の技術水準は、免疫分析法において、抗血清に代え、モノクロナール抗体を適用することを十分に示唆するものであるというべきである。

エ PAは、引用例1に記載のとおり、単離され、その性状が明らかになっている抗原である。また、引用例1には、前記第2、3(2)ア(エ)のとおり記載されているが、これは、PAに対する抗血清が、前立腺ガンの検出に有用であることを示すものである。

そして、PAの免疫分析法において、抗血清に代えてモノクロナール抗体を使用することが困難であったとはいえないことは、本出願の当初明細書の記載内容からみても窺えるところである。すなわち、本出願の当初明細書には、抗血清を使用した診断特異性の具体例が記載されているのみで、モノクロナール抗体を使用した場合の診断特異性の具体例が記載されていないにもかかわらず、上記明細書においては、モノクロナール抗体も、前立腺ガンの検出のため当然に使用可能としているのである。

したがって、PAが、モノクロナール抗体の産生について報告された抗原とは生物的にも化学的にも近似していないからといって、PAを抗原として用いた場合に、モノクロナール抗体の産生技術の適用について特に障害となるべき事由は考えられず、本願発明の構成に照らしても、モノクロナール抗体を適用するに際しての問題点は見出だしえない。

オ 以上のとおりであるから、本出願当時の技術水準を考慮しても、PAに対する抗血清に代えてモノクロナール抗体を用いることは、当業者が容易に想到しえたものというべきである。

(3)  請求の原因4(5)の主張について

ア 参加人の主張に係る本願発明の作用効果は、本願明細書に基づくものではない。

少なくとも、参加人の次の主張については、本願発明では、モノクロナール抗体を適用したがゆえにそのような作用効果を奏するということが、ポリクロナール抗体を適用した場合と比較して、明確に述べられているとはいえない。

(ア) 本願発明においては、PAを定量的にも検出することができるのに対し、引用例1記載の技術においては、それができない。

(イ) 本願発明においては、血液又は体液中の抗原の発見とガン発病との間の相関関係が確立されているのに対し、引用例1記載の技術においては、それが確立されていない。

(ウ) 本願発明においては、PAによるスクリーニングが、単独でも前立腺ガンを予測する強力な手段であることが証明されたのに対し、引用例1記載の技術においては、それが証明されていない。

(エ) 本願発明においては、PAによるスクリーニングの結果について、偽陰性率が低いのに対し、引用例1記載の技術においては、偽陰性率が高い。

イ また、参加人は、本願発明のこれらの効果は、単にモノクロナール抗体の使用ばかりでなく、血清PAの発見と前立腺ガン発病との間の相関関係が確立できたことによるものであると主張する。しかしながら、前記のとおり、本願発明は、モノクロナール抗体の使用の点を除けば、引用例1記載の技術と異なるものではないのであるから、上記主張は、自ら、本願発明の作用効果を否定したことになる。更に、上記主張は、本願発明の作用効果が、主として引用例1に開示された、血清PAの発見と前立腺ガン発病との間の相関関係の発見に基づくものであることを自白したものとさえいえる。

ウ 本願明細書には、「実施例30」以外に、モノクロナール抗体を用いて免疫化学的分折を行った実施例の記載がない。また、実施例30における免疫化学的分析も、作製したハイブリドーマがPAのモノクロナール抗体を産生しているか否かを判定するために、当該ハイブリドーマの培養上清に、抗原であるPAを加えて免疫沈降複合体が形成されるか否かをみるというものであり、そこには、モノクロナール抗体を用いて体液中のPAを検出する免疫化学的分析について、全く記載されていない。

そうすると、発明の作用効果についての主張は、明細書の実施例等の記載に基づいてなされるべきであるのに、本願明細書には、参加人の作用効果についての主張を適切に裏付けるべき実施例が記載されていないものといわざるをえない。

エ 参加人は、前立腺ガンに対するスクリーニング効果について、抗血清を使用する引用例1記載の技術においては、モノクロナール抗体を使用する本願発明に比べ偽陰性率が高く、真の陽性率が低いため、信頼性に乏しいと主張するが、参加人がその裏付けとして提出する甲第9、第10号証には、スクリーニングに使用した抗体がモノクロナール抗体であるとする明確な記載は見当たらない。

また、仮に、甲第9、第10号証において用いられた抗体が、モノクロナール抗体であったとしても、それらに記載された前立腺ガンの検出率が、引用例1に記載された抗PA血清(ポリクロナール抗体)を用いた前立腺ガンの検出率と比べて格別に高いわけではなく、このことは、本願明細書中において、本願発明の抗原-抗体複合体を高感度で定量できる好ましい方法を記載したものとして引用されている「CANCER RESEARCH」Vo1.40、1980(4658頁ないし4662頁、乙第1号証)の記載からみて、明らかである。

オ 更に、参加人は、本願発明においては、モノクロナール抗体を使用し、PAと特異的に免疫沈降複合体を作ることにより、PAを定量的に検出可能になったものと主張するが、本願発明は、PAを定量的に検出することを構成要件としているわけではなく、また、引用例1においても、ウサギ抗血清がPAと特異的に免疫沈降複合体を作り、それによってPAが検出可能であることが全く同様に記載されているのであって、両者の間に、PAの定量的検出の可能性について、格別の差異があるものとは考えられない。

カ モノクロナール抗体が大量生産することができる点についても、そのことのみをもって、一般的に、モノクロナール抗体の方がポリクロナール抗体よりも優れているとすることができないことは自明である。

第4  証拠

証拠関係は、本件記録中の書証目録に記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

第1  請求の原因1ないし3の各事実(特許庁における手続の経緯、本願発明の要旨、審決の理由の要点)については、当事者間に争いがない。

また、引用例1記載の技術及び引用例2記載の発明の各内容が審決記載のとおりであること、本願発明と引用例1記載の技術との間に審決記載のとおりの一致点と相違点が存在することについても当事者間に争いがない。

第2  本願発明の概要について

成立に争いのない甲第2号証(本願発明についての出願公告公報、以下「本願公報」という。)によれば、本願発明の概要は以下のとおりである。

1  本願発明は、前立腺酸性フォスファターゼとは明確に異なるものであるヒト前立腺抗原(PA)を、免疫学的に検出するための診断試薬及び方法に関するものであり、更に詳しくは、実験室的な方法によって前立腺ガンの検出に使用するのに適した、新規なヒト前立腺抗原(PA)及びそれに対する特異的な抗体に関するものである(3欄19行ないし24行)。

2  前立腺ガンは老年に非常に多く、70歳以上の男性の約半分は、前立腺ガンの発生をみている。この高い発生率に鑑み、その検出に用いることのできるマーカーの探索が必要とされた。当初、転移した前立腺ガンを有する患者における、血漿酸性フォスファターゼ活性の上昇が注目されたが、前立腺に起源をもつ血漿酸性フォスファターゼのみを検出することが困難であること等から、それを用いる方法は必ずしも成功していない(3欄26行ないし5欄15行)。

3  そこで、本願発明は、研究者によって証明された、すべての前立腺組織(正常のもの、良性又は悪性の腫瘍を有するもの)中にほとんど同じ量が存在するヒト前立腺組織特異性抗原(PA)に着目し、先行技術のような困難なしに、血液、尿、又は他の体液中に循環しているPAの、免疫学的に特異的な検出に適した、改良された診断試薬の製造に有用な、精製したPAを提供すること、前立腺ガンの早期発見に有用な、急速、簡単に処理することが可能な、高度に特異的な、感応性の高い免疫学的方法を提供すること、前立腺ガン及びその治療法の有効性を監視するための新しいマーカーを提供すること、PAに対する有用な単クローン性抗体を提供することを目的として、要旨記載の構成を採用したものである(5欄16行ないし6欄39行)。

4ア  上記により、本願発明は、第1に、前立腺酸性フォスファターゼとは区別される、精製したPAを提供する。第2に、精製したPAに高度に特異的であり、前立腺酸性フォスファターゼ又は他の組織を起源とする酸性フォスファターゼとは交差反応をしない抗血清を提供する。第3に、高い感度と良好な特異性を示し、前立腺以外の悪性腫瘍に対しては、実質上、偽の陽性結果を示さない、前立腺ガンを検出するための免疫化学的方法を提供する。第4に、例えば、前立腺ガンの試験管内ラジオイムノ検出及び前立腺ガンの免疫特異的化学療法のキャリアーとして有用な、PAに対する特異的マーカーを提供する(7欄2行ないし21行)。

イ  PAに対する単クローン性抗体は、公知のハイブリドーマ細胞培養法を使用して調製することができるが、このような抗体は、高度な特異性、感受性を有し、免疫学的に純粋であるため、動物の免疫化によって調製したものと比較して多くの利益を提供する(11欄36行ないし12欄4行)。

ウ  PAは、正常産生物であるが、他の分別する細胞産生物、例えば、前立腺酸性フォスファターゼ、サイロカルシトニンのような、有用な悪性腫瘍マーカーのように見える。PA血清の特異性は、未知の一次起源をもった、単離した、転移中の悪性腫瘍細胞の同定を可能にする。更に、腺の発達中の前立腺組織の抗原間における正常分別の表明と、前立腺病変とにおける変動の研究は、前立腺細胞の生育調節の現象と転移可能性の予見を提供する(39欄10行ないし40欄10行)。

第3  審決取消事由について

そこで、参加人主張の審決取消事由について判断する。

1  参加人は、上記取消事由として、本願発明と引用例1記載の技術との間における相違点2についての判断の誤りを主張するが、上記相違点における両者の相違内容をより具体的にみるならば、本願発明が、抗体としてモノクロナール抗体を用いるのに対し、引用例1記載の技術が、抗血清(ポリクロナール抗体)を用いる点にあること、そして、両者は、抗体の点を除いたその余の構成において一致するものであることは、当事者間に争いがない(なお、参加人は、審決における相違点1の判断についても、審決に対する認否において「争う。」とする(「請求の原因」4)が、それが、上記相違点についての審決の判断の誤りを主張し、審決の取消事由とする趣旨でないことは、その主張自体から明らかである。)。

したがって、本願発明の進歩性の有無は、本願発明が、抗体として、引用例1記載の技術における抗血清に代えて、モノクロナール抗体を採用したことについての容易推考性の有無に係るものというべきであるから、以下、その点について検討する。

2(1)  まず、参加人は、本願発明のモノクロナール抗体と、引用例2記載のモノクロナール抗体とは、免疫原を異にする(本願発明の免疫原は、前立腺組織に常態的に所在する単離されたPAであり、引用例2記載の発明における免疫原は、単離されていない悪性腫瘍細胞である。)が、抗体はそれに対応する抗原としか反応しない性質のものであり、また、引用例2は、本願発明のように、抗原と抗体の反応により免疫沈降複合体を生成させ、それを検出することを示唆しているものではないから、引用例1記載の技術における抗血清(ポリクロナール抗体)に代えて、引用例2記載の発明におけるモノクロナール抗体を適用したとしても、本願発明の構成に到達することはできないものと主張する。

(2)  しかしながら、審決は、相違点2の判断において、参加人の上記主張のように、単に、引用例1記載の技術における抗血清に代えて、引用例2記載のモノクロナール抗体をそのまま適用することにより、直ちに本願発明の構成が得られるとしているものではなく、前記のとおり抗体の点を除いたその余の構成において本願発明の構成と一致する引用例1記載の技術における抗血清(ポリクロナール抗体)に代えて、この抗血清と同様にPAに対し反応するモノクロナール抗体を用いることについて、その容易性を検討しているものであることが明らかである。

そして、上記のとおり、抗血清に代えて、上記のモノクロナール抗体を用いることが容易というべきか否かについてみるならば、

ア 引用例2においては、同引用例記載の発明が、「腫瘍細胞で動物を免疫し、その動物由来の抗体産生細胞とミエローマ細胞との融合細胞ハイブリッドを形成せしめ、そのハイブリッドをクローニングし、そして該腫瘍細胞に対し特異性を示す抗体を産生するクローンを選択することからなる悪性腫瘍抗体の製造方法。」(7欄下から6行ないし末行)であると記載されていることについては、前記第1のとおり、当事者間に争いがない。

したがって、引用例2記載の発明におけるモノクロナール抗体は、免疫原として検出の対象となる抗原を用いて得られるものであることが明らかであり、この点において、本願発明と異なるものではないというべきである。

イ また、本願発明のPAのように、検出の対象となる抗原が単離された抗原であるならば、抗体を得るための免疫原を単離された抗原とするのは当然のことであって、単離された抗原を免疫原とすることが格別のことであるとは認められないし、単離された抗原の場合に、モノクロナール抗体が得られないとする理由もない。

かえって、成立に争いのない乙第2号証によると、1979年5月28日号として、本願優先権主張日前に発行された「BIOCHEMICAL AND BIOPHYSICAL RESEARCH COMMUNICATIONS」Vol. 88、No. 2には、「トルペド カリフォニカ由来の精製されたアセチルコリン受容体に対する抗体を産生する、11個の安定なモノクロナールハイブリドーマ細胞株を作製した。アセチルコリン受容体で免疫した、実験的な自己免疫性重症無筋力症を呈するラットから採取した脾臓細胞を、マウスミエローマ細胞株と融合した。」(575頁11行ないし15行)と記載されていることが認められるが、ここで、「アセチルコリン受容体」が「細胞に含まれる抗原」に当たることは当業者にとって自明と認められるから、結局、上記乙第2号証には、「細胞に含まれる抗原からモノクロナール抗体を作るために、抗原を予め単離精製しておくこと」が記載されているものということができる。

したがって、本願優先権主張日当時の技術水準からみて、抗原を単離することに困難はなかったものというべきである。

ウ 更に、引用例2には、「本発明のハイブリドーマにより産生される抗体は、悪性腫瘍の特徴を示す抗原が存在するかどうかを決定するために、患者の血液又は体液をスクリーニングすることによって、診断の補助物として用いることができる。」(7欄24行ないし27行)と記載されており、そこにおける「ハイブリドーマにより産生される抗体」がモノクロナール抗体を意味することについても、前記第1のとおり、当事者間に争いがない。

したがって、引用例2には、モノクロナール抗体を、患者の血液と接触させることにより、悪性腫瘍の特徴を示す抗原が存在するかどうかを決定し(抗原の発見)、診断の補助物として用いることが示されているものということができる(なお、成立に争いのない甲第6号証(引用例2)によると、同引用例には、上記記載に続けて、「もし、該抗原が存在すれば、その患者は、該抗原と反応する補助物として、抗体の注射を与えられることができる。」(7欄31行ないし33行)と記載されていることが認められ、モノクロナール抗体を「治療」のために用いる旨が示されているものといえるが、引用例2の前記認定の各記載事項に照らし、そのことから、引用例2記載の発明において患者の血液等をスクリーニングすることの目的が、悪性腫瘍の「発見」にはないものと解することはできない。)。

エ 更にまた、引用例2記載の発明においても、抗原が存在するか否かの判定は、モノクロナール抗体と抗原とが反応して生成する免疫沈降複合体を検出することによりなされるべきものであることは、抗原と抗体の特異性に照らして自明のことであり、参加人の主張するように、引用例2が、免疫沈降複合体を検出することを示唆していないとすることはできない。

以上の事実からみるならば、本願の優先権主張日当時、当業者において、引用例1記載の技術に用いられた抗血清(ポリクロナール抗体)に代え、モノクロナール抗体を用いることについては、参加人主張の上記事実により格別の困難があったものとは、認め難いというべきである。

3  次に、参加人は、引用例2記載の発明において、患者の血液又は体液中の抗原を検出するために、モノクロナール抗体をどのような検出方法の下に使用するかについて記載がないから、引用例1記載の技術における抗血清に代えて、引用例2記載の発明におけるモノクロナール抗体を使用することは、容易に想到されることではないと主張する。

しかしながら、引用例2において、モノクロナール抗体を使用する際の抗原の検出方法について記載がないとしても、当業者において、その検出のために、本願優先権主張日前に公知の免疫学的方法(例えば、ロケット免疫電気泳動法が公知のものであったことは、参加人の主張からも明らかである。)を採用することには、格別の困難も予想されないところである。

したがって、参加人の上記主張も失当というべきである。

4  また、参加人は、1975年に抗ヒツジ赤血球モノクロナール抗体が作られて以来、本願発明に至るまで数種類のモノクロナール抗体が作られたが、それらの抗原は、本願発明の抗原であるPAと生物学的、化学的に近似するものではなかったから、本出願当時の技術水準からみて、引用例1記載の技術における抗血清(ポリクロナール抗体)に代えて、モノクロナール抗体を適用することは、当業者において容易に想到されることではなかったものと主張する。

そこで検討するに、

(1)ア  前記第1における当事者間に争いのない事実に、前出乙第2号証及び成立に争いのない乙第4号証(「Nature」Vol. 256、497頁)、丙第1号証(山口彦之著「遺伝子工学とバイオテクノロジー」株式会社啓学出版昭和59年2月15日発行、52頁ないし57頁)、丙第4号証(乙第4号証に同じ.495頁ないし497頁)によると、「請求の原因」4(4)アのとおり、1975年以来、本願発明に至るまで、抗原をヒツジ赤血球、腫瘍細胞、アセチルコリン受容体とする各モノクロナール抗体が、順次作り出されるに至ったことが認められるが、他方、上記各証拠によるならば、ヒツジ赤血球及びアセチルコリン受容体は、腫瘍ないしガンに関連するものではなく、また、引用例2記載の腫瘍細胞も、単離されたものではなく、悪性腫瘍としての特徴を示すものである点において、それぞれ本願発明におけるPAとは異なったものであることが明らかである。

イ  そして、前出丙第4号証によると、最初にモノクロナール抗体を作り出すことに成功したKohlerとMilsteinにより、1975年に「Nature」Vol. 256(同年8月7日号)に発表された論文中においては、「他の抗原を使用して同様な結果を得ることができるかどうかは、なお観察しなければならない。」とも記載されていたことが認められるところである。

(2)  しかしながら、上記(1)イにおける記載については、それが、参加人の主張するように、ヒツジ赤血球以外の抗原を用いた場合にも、モノクロナール抗体を得ることが可能であるか否かは不明であるとする趣旨を述べたものであるとしても、ヒツジ赤血球以外の抗原についてモノクロナール抗体を得ることが困難であるとの趣旨までも含むものとは解することができず、むしろ、上記論文中の他の箇所における、「上述の結果により、体細胞融合技術は、予め決めた抗原に対する特異抗体を生産するための有力な道具であることがわかる。」、「異なる起源からの抗体産生細胞を融合することもできる。そのような細胞は、試験管内で大量培養に増殖させて特異抗体を得ることができる。このような細胞培養物は、医学的に又は工業的に有用であろう。」(乙第4号証497頁左欄5行ないし7行、右欄本文14行ないし18行)との記載部分は、ヒツジ赤血球以外の抗原についてのモノクロナール抗体の産生の可能性を示唆するものというべきである。

更に、成立に争いのない乙第5号証によると、前記(1)アの「Nature」誌の2年後に刊行された「THE LANCET」(1977年6月11日号)中の論文においては、Milsteinらによる上記体細胞融合技術ないしはモノクロナール抗体産生技術に関し、「請求の原因の認否及び被告の反論」2(2)ウのとおり記載されていることが認められ、ヒツジ赤血球以外の抗原について、モノクロナール抗体を作り得るものであることが示唆されているものというべきである。

そして、その後、前記(1)アのとおり、腫瘍細胞やアセチルコリン受容体を抗原とするモノクロナール抗体が作り出されており、また、上記の腫瘍細胞やアセチルコリン受容体は、ヒツジ赤血球とは生物学的にも化学的にも異なるものであることが明らかである。

(3)  そうしてみると、本願発明の抗原が、それ以前に用いられた抗原と生物学的、化学的性質を異にするとしても、また、モノクロナール抗体が初めて作り出されたのが、本願優先権主張日の約4年前という比較的近時のことであり、引用例2の発行時期等も、上記優先権主張日に近い時期であったとしても、その間における、上記(2)のようなモノクロナール抗体の抗原についての示唆状況、モノクロナール抗体についての研究の進展状況等を考慮するならば、本願優先権主張日当時における上記事情が、引用例1記載の技術における抗血清をモノクロナール抗体に置換することの容易推考性に、格別の影響を与えるものではないというべきである。

そして、このことは、成立に争いのない丙第5号証(「British Journal of Cancer」Vol. 43、No. 1、1981年、1頁ないし4頁)における、モノクロナール抗体の生産の経過に関する記載内容を考慮しても同様である。

(4)  したがって、参加人の上記主張も、また失当といわざるをえない。

5(1)  更に、参加人は、本願発明におけるモノクロナールル抗体が、引用例1記載の技術における抗血清(ポリクロナール抗体)に比べ、「請求の原因」4(5)のとおりの顕著な作用効果を奏するものであり、当業者において、その予測可能性はなかったものと主張する。

(2)  そして、前出甲第2号証(本願公報)によると、本願明細書には、本願発明においてモノクロナール抗体を採用したことの作用効果として、「このような抗体は、高度に特異性で、そして感受性で、さらに免疫学的に純粋であるので、動物の免疫化によって調整したものと比較して多くの利益を提供する。」(11欄末行ないし12欄4行)と記載されていることが認められる。

(3)ア  しかしながら、本願発明におけるモノクロナール抗体についての上記(2)の作用効果は、モノクロナール抗体がその性質上当然に有する一般的な作用、特徴であるにすぎず、それを、本願発明の構成自体から生じる格別の作用効果とみなすことはできない。

イ  また、前出甲第2号証におけるその他の記載内容を精査しても、本願明細書中において、本願発明が、モノクロナール抗体を採用したことにより、ポリクロナール抗体を使用した場合に比べて、格別の作用効果を奏するに至ったものであることを示す記載は見当たらず、更に、参加人の、モノクロナール抗体を採用したことに伴う本願発明の作用効果の主張のうち、モノクロナール抗体の必要量を無制限に作ることができるとする点を除いた主張部分に関しては、それらを自明であると認めるべき根拠もない。

ウ  そうすると、参加人の本願発明の作用効果の主張のうち、上記主張部分については、本願明細書の記載に基づかない主張というべきであるから、そもそも失当といわざるをえない(なお、参加人は、この点について、上記作用効果は本願発明の実施後に判明したことであるから、その主張は許されるべきであるとするが、発明の作用効果は、自明なものを除いて、出願明細書に記載することを要するものであり、記載のない作用効果を斟酌することはできない。)。

エ  更に、参加人の上記主張に係る作用効果のうち、抗体をモノクロナール抗体とした場合、抗体の量を無制限に作ることができるとする点については、本願明細書に記載がないとしても自明のことと解すべき余地がある。

しかしながら、その点についても、モノクロナール抗体が一般的に有する性質に基づくものであるにすぎず、本願発明の作用効果としては、格別のものということができないことは明らかである。

したがって、参加人の上記の作用効果の主張も、同様に失当というべきである。

6  以上によれば、当業者において、引用例1記載の技術における抗血清に代えモノクロナール抗体を採用することは、容易になしえたものと認めるのが相当であり、本願発明は、引用例1記載の技術及び引用例2記載の発明から、容易に想到しえたものというべきである。

第4  よって、審決には参加人主張の違法はなく、その取消しを求める参加人の本訴請求は理由がないものというべきであるから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担及び上告のための附加期間の定めについて行政事件訴訟法7条、民事訴訟法89条、94条、158条2項を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 竹田稔 裁判官 春日民雄 裁判官 持本健司)

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